ストリンドベリ演劇フェスティバル(3)

前々回および前回に引き続き、ストリンドベリ演劇フェスティバルについてご報告いたします。

  • 第一部 毛利まこによるリーディングドラマ 「ストリンドベリの女たち」
  • 第二部 バーント・ヘーグルンド氏、毛利まこ氏、抱晴彦氏によるトークショー
  • 第三部 劇団グスタフ公演 「令嬢ジュリー」

 

今日は、第三部の劇団グスタフ公演「令嬢ジュリー」についてご報告いたします。

 

「令嬢ジュリー」は、スウェーデン大使館のオーディトリウムで上演されました。

オーディトリウムの狭い空間に、巧みに舞台を組み上げている様子には圧倒されます。

 

日本の観客のために、舞台はスウェーデンから丹波の山奥に、夏至の夜は夏祭りの夜に、そして伯爵家は武家に置き換えられています。伯爵のブーツが、お館様の鎧に置き換わっているのは、中々面白いアイデアです。

 

舞台の冒頭で島原の乱に言及していましたので、時代は江戸時代初期でしょうか。

全く異なる時空に移し替えられた物語は、しかし、原作同様、あっという間にラストシーンを迎え、ある種の極限状態の中でジュリーに決断を迫ります。役者の熱演を満席の観客が楽しみ、幕を閉じました。

 

 

さて、観劇を終えて、改めて感じたことがあります。

 

日本版では、劇の冒頭で正体不明の老婆が、物語の筋を解説します。それに続いて、ジャンの斬首を想起させるシーンが挿入され、劇の本編が始まります。

 

これは、もちろん日本の観客に向けた解説の役割を果たしているのですが、一方で、原作の持つスピード感や完成したスタイルとやや整合しない印象もあります。

 

舞台を置き換えたことでわかりやすくなるとともに、作品の世界観との衝突は、議論の対象となるかもしれません。

 

ここで、本日のプログラムを振り返ってみました。

 

第二部では、ヘーグルンド氏は姿勢やプロセスについて、抱氏は興行面について語っていました。このような形で具体的に作品に現れてくるのは、面白く感じました。

 

そして、第一部を振り返ると、毛利氏のスタイルも議論に反映されていたことに気づかされます。毛利氏は原作により忠実な立場を取っているのでしょう。

 

このように、はからずもスウェーデンと日本の状況の違いを浮き彫りにして、演劇フェスティバルは幕を閉じました。関係者の皆さま、本当にお疲れ様でした。