トーキョーノーザンライツフェスティバル記念イベント「北欧映画の生まれるトコロ」

2月2日にスウェーデン大使館で開催された、「北欧映画の生まれるトコロ」に参加しましたので、ご報告いたします。

 

内容については正確を期しておりますが、講師の発言は要約しております。また、都合により開催時間に間に合わなかったため、まつかわ氏の講演の前半部分を聴き逃しております。あらかじめお断りいたします。(北欧文化協会 北川義人)

 

【プログラム】

  • 講演 「日本での北欧映画の現状」(まつかわ ゆま氏)
  • 特別座談会 「北欧映画の生まれるトコロ」
    • まつかわ ゆま氏(司会)
    • アリニ・バル・エイナソン氏(在日アイスランド商工会議所会頭)
    • 森ステファン氏(スウェーデンハウス)
    • イェンス・イェンセン氏(デンマーク大使館)
    • ミカール・ルイス・ベルギ氏(在日ノルウェー商工会議所専務理事)
    • エイヤ・ニスカネン氏(映画・アニメーション評論家)

 


「日本での北欧映画の現状」

(カール・ドライヤー、イングマール・ベルイマン、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン等について語った後で…)

  • ダグラス・サーク(デンマーク)

両親がデンマーク人、ドイツで生まれドイツ国籍。妻がユダヤ人だったため、迫害を恐れてハリウッドに渡った。メロドラマを得意としたが、その源流は北欧演劇の伝統(リアリズム)にあるのではないか。人間の心理を深く掘り起こす手法は、メロドラマでも生かされている。

 

<新しい世代の監督>

  • ビレ・アウグスト(デンマーク)

子供たちの城(1983)、ツイストアンドシャウト(1984)、ペレ(1987)等。文芸派。ツイストアンドシャウトなど、アメリカ文化への憧れを持っていた。スピルバーグに呼ばれ、ヤング・インディ―ジョーンズのTVシリーズを複数担当し、ハリウッドで成功。

  • ラッセ・ハルストレム(スウェーデン)

アバ/ザ・ムービー(1977)、マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ(1985)、ギルバート・グレイプ(1993)等。文芸派。アバはスウェーデンのミュージシャンだが、アメリカのポップカルチャーを体現した存在。スピルバーグに呼ばれ、ギルバート・グレイプで成功。レオナルド・ディカプリオとジョニー・デップを育てた。

  • レニー・ハーリン(フィンランド)

プリズン(1987)、エルム街の悪夢4(1988)、ダイ・ハード2(1990)等。アクション映画にしか興味がない。エルム街の悪夢4で手腕を発揮し、ダイ・ハード2の監督に抜擢された。

 

 3人とも北欧映画の殻を破るためにアメリカに渡ったが、その成功の根底には、北欧らしさが流れている。

  1. 北欧演劇の伝統:監督でありながら、演技・演出を指導できる
  2. 児童文学の伝統:リンドグレーンの作品やムーミンなど優れた作品が存在し、子供や若者の心理を巧みに表現できる
  3. 「バイキング」の伝統?:アクション、バイオレンス、ミステリーなど、アメリカにはない表現を持っている

 

 北欧諸国は、1990年代から国内映画産業へのテコ入れを行い始めた。ノーザンライツフェスティバルで上映する作品の多くは、この世代が監督。

 

<北欧映画は日本でどのように紹介されてきたか?>

 初期はデンマーク映画が多かった。どんどん入ってくるのは戦後。

  • 1960~70年代
アート系(ベルイマン等)
子供映画
官能映画(という誤解、アメリカや日本は性表現への規制が厳しかったため、このような誤解が生じた)
  • 1980年代後半~90年代

日本でのミニシアターブーム。アキとミカのカウリスマキ兄弟、ラース・フォン・トリアー、ベント・ハーメル、フレドリック・トール・フレドリクソンが紹介され、従来の北欧映画のイメージが一新された。観客がベルイマンを観ていない世代になった。

  • 2000年代

ヘルシンキを舞台とした日本映画「かもめ食堂」から、北欧映画に入る観客が登場した。

 

<まとめ>

 日本も北欧も、以前はアメリカ文化一辺倒の時代があったが、現代では嗜好が多様化し、映画の見方も変わってきた。シネコンの大スクリーンで、巨額の製作費を投じた3D映画を観る時代から、自宅でPCやインターネットを使って一人で観る時代に変化した。

 

 まさに、新しい映画の時代が訪れたのかもしれない。