2月2日にスウェーデン大使館で開催された、「北欧映画の生まれるトコロ」に参加しましたので、ご報告いたします。
内容については正確を期しておりますが、講師の発言は要約しております。また、都合により開催時間に間に合わなかったため、まつかわ氏の講演の前半部分を聴き逃しております。あらかじめお断りいたします。(北欧文化協会 北川義人)
【プログラム】
(カール・ドライヤー、イングマール・ベルイマン、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン等について語った後で…)
両親がデンマーク人、ドイツで生まれドイツ国籍。妻がユダヤ人だったため、迫害を恐れてハリウッドに渡った。メロドラマを得意としたが、その源流は北欧演劇の伝統(リアリズム)にあるのではないか。人間の心理を深く掘り起こす手法は、メロドラマでも生かされている。
<新しい世代の監督>
子供たちの城(1983)、ツイストアンドシャウト(1984)、ペレ(1987)等。文芸派。ツイストアンドシャウトなど、アメリカ文化への憧れを持っていた。スピルバーグに呼ばれ、ヤング・インディ―ジョーンズのTVシリーズを複数担当し、ハリウッドで成功。
アバ/ザ・ムービー(1977)、マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ(1985)、ギルバート・グレイプ(1993)等。文芸派。アバはスウェーデンのミュージシャンだが、アメリカのポップカルチャーを体現した存在。スピルバーグに呼ばれ、ギルバート・グレイプで成功。レオナルド・ディカプリオとジョニー・デップを育てた。
プリズン(1987)、エルム街の悪夢4(1988)、ダイ・ハード2(1990)等。アクション映画にしか興味がない。エルム街の悪夢4で手腕を発揮し、ダイ・ハード2の監督に抜擢された。
3人とも北欧映画の殻を破るためにアメリカに渡ったが、その成功の根底には、北欧らしさが流れている。
北欧諸国は、1990年代から国内映画産業へのテコ入れを行い始めた。ノーザンライツフェスティバルで上映する作品の多くは、この世代が監督。
<北欧映画は日本でどのように紹介されてきたか?>
初期はデンマーク映画が多かった。どんどん入ってくるのは戦後。
アート系(ベルイマン等)
子供映画
官能映画(という誤解、アメリカや日本は性表現への規制が厳しかったため、このような誤解が生じた)
日本でのミニシアターブーム。アキとミカのカウリスマキ兄弟、ラース・フォン・トリアー、ベント・ハーメル、フレドリック・トール・フレドリクソンが紹介され、従来の北欧映画のイメージが一新された。観客がベルイマンを観ていない世代になった。
ヘルシンキを舞台とした日本映画「かもめ食堂」から、北欧映画に入る観客が登場した。
<まとめ>
日本も北欧も、以前はアメリカ文化一辺倒の時代があったが、現代では嗜好が多様化し、映画の見方も変わってきた。シネコンの大スクリーンで、巨額の製作費を投じた3D映画を観る時代から、自宅でPCやインターネットを使って一人で観る時代に変化した。
まさに、新しい映画の時代が訪れたのかもしれない。
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