次回例会

2017年6月8日(木)18:30~

6月例会

「『日本・デンマーク外交関係樹立150周年』を考える 村井誠人(早稲田大学文学学術院、本会会員)

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新春懇談会の様子
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北欧の天気

2012年 新年のご挨拶

年頭にあたり、謹んで皆様のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。

 

今年で、北欧文化協会は、創立63周年を迎えますが、今、脳裏を占めますのは、やはり昨年3月11日の東日本大震災と復興の問題ですね。その話題を協会のテーマである北欧諸国とバルト三国に限定しても、在日の市民の方々のボランティア活動をはじめ、大使館レベルでも、被災地に駆けつけて下さったり、賑やかなオークションの催しを開いて救援資金を集めて下さったり、都内などに仮住まいを余儀なくされている被災者を招待して激励の会を催されたり、など手をつくして支援をして下さいました。同時に、こうした地球規模の災害やいわゆる核エネルギーの問題にどう対処したらよいのか、自然エネルギーの開発にどう取り組んでいったらよいのか、など、互いに知恵を出し合っていく必要に迫られています。

 

私のような「戦後世代」の者にとっては、忘れがたいことがあります。福島原発の事故について、廣島、長崎への原爆投下によって核開発の恐ろしさを知ったはずだのに何故そんなことが起こるのか?と皆さんは訝られるかも知れませんが、実は、原爆被害の報道が占領軍のプレスコードによって厳しく取り締まられる一方で、まるでそれを中和するかのように「核の平和利用」という発想がマスコミなどによって喧伝され、私たちも抵抗なくそれを受け入れた、という事実があるのです。原爆の体験に泣く被爆者と、体験しない私たちの間に深い意識の隔たりが生まれてしまったのが「占領時代」なのだと、私には思われてなりません。

 

そういう延長線上で自分たちが蒔いた種の恐ろしさをようやく自覚しだした頃、ある在日フィンランド人のお宅を訪れた時手渡されたのが、モニカ・ブローというスウェーデンの女性が書いた本でした。それは彼女がルンド大学に出した学位論文(1986年)に依拠していましたが、占領下に敷かれた言論統制のために、太田洋子などの作家が干渉を受けたとか、被爆者の医療データを占領軍に取り上げられてしまったとか、核兵器の恐ろしさを日本人ばかりでなく世界人類が認識する絶好の機会が空しく去った史実を詳細に調べ上げていました。日本人がしていなければならなかったことをスウェーデンの研究者がしていたことに、衝撃と恥ずかしさを感じたことを覚えています。

 

振り返ってみますと、日本と北欧の付き合いには長い歴史がありますし、アジア・太平洋戦争後にしたところでも、さまざまな転変がありました。北欧文化協会が誕生した1949年という時期をとってみても、戦後の闇市・焼け跡で暮らす私たちにとって、北欧帰りの人々が語る北欧諸国の暮らしは、お伽話を聞くような遠い憧れの存在でした。そういう北欧も次第にわれわれの日常生活の中で感じられるようになり、そして2009年に60周年記念を迎えたのちの今はまた、とりわけ昨年3月11日のあの震災に由来する諸事件の中に日本も北欧も共通して巻き込まれているわけです。私たちの北欧諸国への関心も、それにもとづく北欧文化協会の活動も、こうした歴史をしっかり受けとめながら、ますます発展していってほしいと願っています。

 

(本会理事長 百瀬 宏)

年頭にあたり、謹んで皆様のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。

今年で、北欧文化協会は、創立63周年を迎えますが、今、脳裏を占めますのは、やはり昨年3月11日の東日本大震災と復興の問題ですね。その話題を協会のテーマである北欧諸国とバルト三国に限定しても、在日の市民の方々のボランティア活動をはじめ、大使館レベルでも、被災地に駆けつけて下さったり、賑やかなオークションの催しを開いて救援資金を集めて下さったり、都内などに仮住まいを余儀なくされている被災者を招待して激励の会を催されたり、など手をつくして支援をして下さいました。同時に、こうした地球規模の災害やいわゆる核エネルギーの問題にどう対処したらよいのか、自然エネルギーの開発にどう取り組んでいったらよいのか、など、互いに知恵を出し合っていく必要に迫られています。

私のような「戦後世代」の者にとっては、忘れがたいことがあります。福島原発の事故について、廣島、長崎への原爆投下によって核開発の恐ろしさを知ったはずだのに何故そんなことが起こるのか?と皆さんは訝られるかも知れませんが、実は、原爆被害の報道が占領軍のプレスコードによって厳しく取り締まられる一方で、まるでそれを中和するかのように「核の平和利用」という発想がマスコミなどによって喧伝され、私たちも抵抗なくそれを受け入れた、という事実があるのです。原爆の体験に泣く被爆者と、体験しない私たちの間に深い意識の隔たりが生まれてしまったのが「占領時代」なのだと、私には思われてなりません。

そういう延長線上で自分たちが蒔いた種の恐ろしさをようやく自覚しだした頃、ある在日フィンランド人のお宅を訪れた時手渡されたのが、モニカ・ブローというスウェーデンの女性が書いた本でした。それは彼女がルンド大学に出した学位論文(1986年)に依拠していましたが、占領下に敷かれた言論統制のために、太田洋子などの作家が干渉を受けたとか、被爆者の医療データを占領軍に取り上げられてしまったとか、核兵器の恐ろしさを日本人ばかりでなく世界人類が認識する絶好の機会が空しく去った史実を詳細に調べ上げていました。日本人がしていなければならなかったことをスウェーデンの研究者がしていたことに、衝撃と恥ずかしさを感じたことを覚えています。

振り返ってみますと、日本と北欧の付き合いには長い歴史がありますし、アジア・太平洋戦争後にしたところでも、さまざまな転変がありました。北欧文化協会が誕生した1949年という時期をとってみても、戦後の闇市・焼け跡で暮らす私たちにとって、北欧帰りの人々が語る北欧諸国の暮らしは、お伽話を聞くような遠い憧れの存在でした。そういう北欧も次第にわれわれの日常生活の中で感じられるようになり、そして2009年に60周年記念を迎えたのちの今はまた、とりわけ昨年3月11日のあの震災に由来する諸事件の中に日本も北欧も共通して巻き込まれているわけです。私たちの北欧諸国への関心も、それにもとづく北欧文化協会の活動も、こうした歴史をしっかり受けとめながら、ますます発展していってほしいと願っています。(百瀬 宏)